アバンギャルド茶会 【コラム】「アート」と「茶道」の接点(2) ~千利休は「最強のキュレーター」?

【コラム】「アート」と「茶道」の接点(2) ~千利休は「最強のキュレーター」?


「アート」と「茶道」の接点(1) ~何かが見えてきた気がする。アート茶会に向けて

「茶道」と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか?

 ・敷居が高い
 ・作法が面倒くさい
 ・お金がかかりそう

正直言って、そのとおりである。そもそも「茶道」とは神様にお茶を献上する儀式が
ベースであり、貴族や武家、公家の芸事へと発展して行く。(室町時代)茶道具は
中国や朝鮮から伝来した高価な道具を利用し、どれだけ手に入りづらい珍しい茶道具を
所有しているかがステータスであった。

でも、その流れを大きく変化させたのが「千利休」である。(そのきっかけを
作ったのは利休の師匠である村田珠光らである)過去から伝わってきたものを
珍重しながらも、自分の美意識にあったものを全国の職人に作らせていく。
(海外製からMADE IN JAPANへシフト)

「アート」で考えてみると

 [ 昔 ] セザンヌやゴッホなど西洋絵画を収集する(日本のバブル期)
  ↓
 [ 今 ] 村上隆や奈良美智などのコンテンポラリーアートを収集する

という感じだろうか?

過去に生み出され、今でも評価されるものには理由がある。
しかしながら、ものごとはつねに進化し続ける。そして、人の価値観という
ものも変化するもの。だからこそ、現在という時間軸で評価されているものを
発掘し、育てていくことも大事なのだ。

そんな感覚が一見接点のない「アート」と「茶道」で共通しているように感じる。

今でこそ千利休が好んだ道具(楽茶碗、茶器、竹の茶杓・花入)は絶対の
評価であり、現代の人たちは珍重してやまない。しかし、400年前の時点では
村上隆のフィギュア級にアバンギャルドだったはずだ。
(決して過去を否定しているわけではない。400年たった今でも間違いなく
 評価に値する道具は本当に数多くあるし、だからこそ今でも評価されているのだ)

そう考えると千利休は「最強のキュレーター」だったといえなくはないだろうか?

バックナンバー


「アート」と「茶道」の接点(1) ~何かが見えてきた気がする。アート茶会に向けて

PAGE TOPヘ